ゲド戦記アレンとテルーの年齢が原作と違う?同年代にしたのは何のため?

ゲド戦記アレンとテルーの 年齢が原作と違う? 同年代にしたのは何のため?

ジブリ映画の異端児ともいわれている映画「ゲド戦記」ですが、登場人物の設定が原作とだいぶかけ離れていることに戸惑うファンも多いようです。

特に主人公アレンとヒロインのテルーが映画では同年代という設定なのですが、原作では年齢がだいぶ違うそうなのです。

今回は、映画「ゲド戦記」のアレンとテルーに的を絞り、なぜ二人の年齢を同年代に設定したのか深掘りしていきたいと思います。

 

ゲド戦記アレンとテルーの年齢が原作と違う?


映画「ゲド戦記」をみると、アレンとテルーは15か16歳くらいの少年と少女という感じですよね。

実際二人は何歳なのでしょうか?

また、原作とは年齢が違うという声がありますが、原作の方は何歳の設定なのか見ていこうと思います。

 

【映画】ゲド戦記アレンとテルーの年齢は?

映画「ゲド戦記」のアレンは、思春期真っただ中の17歳の青年です。

テルーは少し下で15~16歳ではないかといわれていますが、ハッキリとした年齢は発表されていません。

原作に比べるとアレンは若々しく、テルーは少し大人びて描かれているようです。

原作との差は年齢以外にもたくさんあるそうで、原作ファンからすると映画ゲド戦記は、なかなか違和感のある設定なのだそうです。

 

実際、「ゲド戦記」というタイトルもゲド=ハイタカのことですし、影と戦うのも若い頃のハイタカです。

映画ゲド戦記は原作の長編ストーリーのほんの一部分をくり抜いて、さらに監督の宮崎吾郎さんのオリジナルストーリーに変更されていますので、原作はあってないものだという声もあります。

では、原作の方はどうなのでしょうか?

 

【原作】ゲド戦記アレンとテルーの年齢は?

原作では、テルーは6歳か7歳となっているそうです。

テルーは、親や知り合いの男性からひどい性的虐待を受けており最終的に焼き殺されそうになるという壮絶な過去があるそうです。

 

一方アレンの方は、テルーに会う頃にはすでに成人しており、しかも父親を殺していません。

アレンが国を出た理由は、アースシーの均衡の乱れについて大賢人ゲドを捜し出し、知恵を授けてもらうよう父王がアレンに命じてハイタカを捜すために国を出るという内容です。

 

そして、ハイタカと出会ったアレンは一緒に旅をするというストーリーです。

このように、映画ゲド戦記と原作との間にはいくつもの設定の違いがあり、ファンの中でも映画に対しての好き嫌いがはっきり別れる作品となっています。

特に原作からファンになり映画の内容に期待したファンからしてみれば、「なんで原作通りつくってくれなかったの?!」という意見もあります。

 

同年代にしたのは何のため?

原作とは違い映画ゲド戦記のアレンとテルーの年齢が同年代であることについて、Twitter上では様々な意見がたくさんあがっていきています。

一体何のために二人を同年代にしたのでしょうか?

 

同年代にしたのは何のため?

原作でのアレンとテルーは親子ほども年が離れているという設定で、しかも原作内ではほとんど面識もないです。

そんな二人をピックアップし、なおかつ同年代にした監督宮崎吾郎さんの意図とはなんだったのでしょうか?

Twitterの皆さんの意見は以下のようになっています。

 

 

様々な意見があるようですね。

実は「映画ゲド戦記」は、宮崎駿さんが1986年に出版した「シュナの旅」のオマージュ作品であるともいわれています。

「シュナの旅」に出てくる人物設定や動物、世界観などはジブリの他の映画でも似通っているところがあるそうです。

 

宮崎吾郎さんは、映画ゲド戦記を制作する以前に、この「シュナの旅」を映画化したいと願い出ましたが、父親の宮崎駿さんが許可しなかったそうです。

なので、「シュナの旅」のオマージュ作品として、映画ゲド戦記は制作されたそうです。

映画「ゲド戦記」とは、原作を小説「ゲド戦記」とし、原案を「シュナの旅」としたもので、この二つの物語の内容の一部と監督の宮崎吾郎さんとのオリジナルストーリーを掛け合わせた作品であるということなのですね。

アレンとテルーが原作「ゲド戦記」違い、同年代としてキャラクター設定をしているのも、「シュナの旅」を映画化できなかった監督宮崎吾郎の想いからなるものではないでしょうか。

 

また、ジブリ映画は宮崎駿さんの頃より10代の少年少女を主人公にしているものが主流です。

ナウシカやラピュタ、魔女の宅急便やもののけ姫、耳をすませばなどもそうですね。

ジブリの主人公は主に少年少女の二人で、一緒に戦ったり冒険したり、恋に落ちたり…といったいろんな出来事を共に経験し、そこから生まれる絆の深まりや互いを思う気持ち、そして人としての成長をアニメーションの中で感じることができると思います。

そういったジブリ式テンプレートに、映画ゲド戦記も習ってみたのではないでしょうか。

 

ジブリファンの中には、その後のアレンとテルーを想像するなどの二次作品的要素を感じる人もいます。

 

 

原作よりのファンにとっては、アレンとテルーの同年齢は受け入れがたい人も多いようですね。

もし映画ゲド戦記が原作に習って、成人男性のアレンと5歳の女の子のテルーだったとしたら、別の萌えファン層がうまれていたかもしれないなと考えると、原作に沿ったストーリーでも面白い映画になりそうだなと個人的には思います。

 

ジブリを愛するファンとしては、少年少女を主人公とした作品の方が、ストーリーに引き込まれやすいと感じましたし、その後の二人を想像してまた違うときめきやキャラ愛を感じることができるので、映画ゲド戦記の方も個人的にはいい映画ではないかなと感じます。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

映画「ゲド戦記」は原作とはキャラの年齢もストーリーもだいぶ違いがあることがわかりました。

映画「ゲド戦記」ではアレンは17歳でテルーは15歳で同年代でした。

原作ではアレンは成人しており、テルーは5歳くらいという設定で、二人は映画のような関係ではなく、面識すらないそうです。

なぜアレンとテルーの年齢を同年代にしたのかについては、監督の宮崎吾郎さんが、父親の宮崎駿さんの描いた「シュナの旅」を原案として作っていたからでした。

映画「ゲド戦記」は人の心の葛藤を描いています。

その葛藤が大きい十代を主人公にすることで、子供も大人も共感できる映画になることを監督宮崎吾郎さんは望んだのではないでしょうか。

十代には今抱える心の葛藤を、十代だったころの大人はあの頃の青春を。

それぞれの年代によって、観る人を魅了してくれるのがジブリ映画の醍醐味ではないかと思います。

だからこそ、永く愛されているのでしょうね。

映画「ゲド戦記」の場合は、原作と映画を同じものとして観るのではなく違う作品として受け止めると、それぞれの良さが感じられて面白いかもしれませんね。

最後まで読んでくださりありがとうございました。