浪花千栄子に弟いた?生い立ちの実話エピソードどこまで本当か調査

浪花千栄子に弟いた?生い立ちの実話エピソードどこまで本当か調査 エンタメ

現在放送中の朝の連続テレビ小説『おちょやん』。

『おちょやん』の実在モデルとなってるのが、大阪のお母さん女優と呼ばれた、浪花千栄子さんです。

『おちょやん』は、幼い弟や父親との貧しい暮らしが描かれ、どこまでが実話なのか気になりますよね。

そこで今回は、実在モデルの浪花千栄子さんの生い立ちや、弟を含めた家族関係を探ってみました。

ドラマでは貧しい暮らしからたくましく成長していく姿が描かれますが、どこまで実話に近づけたストーリー展開になるのでしょう?

浪花千栄子さんの生い立ちを知れば、もっと「おちょやん」の世界に深入り出来るかも?

ぜひお楽しみくださいね!

 

浪花千栄子の家族は?弟はいた?

朝の連続テレビ小説『おちょやん』の実在モデル、浪花千栄子さんです。

ドラマ序盤では父・継母・弟との暮らしが描かれてますが、どこまでが実話なのか気になる方もいるのではないでしょうか。

こちらでは浪花千栄子さんのプロフィールと、浪花千栄子さんの家族構成についてご紹介します。

 

浪花千栄子のプロフィール

こちらが浪花千栄子さんのプロフィールになります。

名前:浪花 千栄子(なにわ ちえこ)

旧芸名:香住 千栄子(かすみ ちえこ)

本名:南口 キクノ(なんこう きくの)

生年月日:1907年11月19日

没年月日:1973年12月22日(享年66歳)

出身地:大阪府南河内郡大伴村大字板持(現在・富田林市東板持町)

浪花千栄子さんの父親は武士家系で、祖父は庄屋という裕福な家庭でした。

しかし、浪花千栄子さんの実母との結婚を双方の身内から反対され、恩恵を受けられず極貧暮らしになったとか。

父親は鶏の行商をしてましたが、村1番の貧乏で家計は苦しかったそうです。

 

反対を押し切って結婚した浪花千栄子さんの実母は、浪花千栄子さんの3歳下の弟を出産する時に亡くなりました。

浪花千栄子さんには弟がいて、幼い浪花千栄子さんは、弟の母代わりとして世話をしながら貧しい暮らしを送ることになります。

ろくに風呂も入れなかったため、近所の子供達からは敬遠され、仲間に入れて貰えなかったとか…。

早くに母親を亡くし、かなり辛い子供時代を送ってますね。

 

ドラマ「おちょやん」では、浪花千栄子さんの弟は「ヨシヲ」として描かれています。

ヨシヲを演じたのは、子役の荒田陽向くん。

 

 

ヨシヲはいつも姉の浪花千栄子さんの後について回る、可愛らしい男の子です!

また、母を知らないヨシヲは、継母を慕うように・・・

 

 

そんな姿を見たチエは、テルヲを家においてもらうように頼み、自分は大阪に奉公に出るのでした・・・

なんとも切ない、弟を思う姉ごころですよね。

 

弟・ヨシヲが再登場!(1度目/2021年2月・2度目/4月)

 

2021年2月、『おちょやん』に浪花千栄子さんの弟・ヨシヲが再登場しました!

すれ違いざまにヨシヲにぶつかってしまい、謝る千栄子の「だんない だんない」と声をかけるヨシヲ。

 

 

すっかり美形に成長したヨシヲですが・・・

 

 

何か違和感のある感じです・・・

 

 

ヨシヲの胸元がチラっとはだけた時、一平は入れ墨があることを見逃しませんでした。

千栄子と別れた後、ヨシヲはかなり苦労したんでしょうね。

生きるために手段を選ばず、なんとここまでたどり着いたのだと分かります。

変わってしまったヨシヲの姿に、SNS上からも涙の声が聞こえてきます。

 

 

これから、ヨシヲはどうなってしまうのでしょうか?

 

さらに再々登場♡(4月15日追記)

前回の再登場で悲しい別れをした千代とヨシヲでしたが、「おちょやん」も終盤に近付いての再登場です!

 

 

ヨシヲくん、満州で料理屋をされているんですね♡

 

 

苦労の多いヨシヲ、どうか幸せであって欲しいと願います!

あの後、どんなことがあって満州の料理屋に行きついたのか・・・

 

同じように感じる視聴者の方、多いみたいですね。

 

 

うう~ヨシヲ~!生きて~!!

 

浪花千栄子の生い立ちの実話エピソードどこまで本当か調査

 

実母を亡くし8歳になった浪花千栄子さんの元に、再婚相手を父親が連れてきました。

継母が来たことで弟の世話から解放され、やっと小学校へ通えることになります。

 

しかし継母は家のことを全くしない人で、学校へ持っていくお弁当も作らないし、学費も払ってくれなかったんです。

昼まで寝て、起きたら三味線を弾いて過ごすような方で、浪花千栄子さんは「悪妻の見本のような人」と語ってました。

 

そして学校からお金を催促されるのが怖くて、たった2ヶ月で小学校へ通えなくなり読み書きも満足に出来なかったそうです。

今の時代なら児童相談所に即通報ですね。

 

そんな継母ですから浪花千栄子さんは軽蔑し、継母も浪花千栄子さんを可愛がることはありませんでした。

継母は何度も家出を繰り返した挙げ句「弟はいいけど、この娘と暮らすのは嫌!」と言い、父親は祖母の家に浪花千栄子さんを預けます。

後に弟も預けられ困った祖母は、8歳の浪花千栄子さんを女中奉公に出しました。

まだ8歳の子供が働きに出されるなんて、現代では考えられませんね。

そして奉公先の仕出し料理屋「浪速料理」の主人は、凄まじいパワハラをしてたそうです。

 

ちなみに昔の大阪では、茶屋や料亭で働く小さい女中さんのことを「おちょぼさん」と呼んでました。

ドラマのタイトル「おちょやん」は、”おちょぼさん”がなまった大阪ことばなんですよ。

 

こんな過酷な状況で浪花千栄子さんは、トイレに新聞を持ち込み必死に文字を勉強したそうです。

厳しい状況で働いた金を、父親が突然現れ取り上げていくので奉公先も何度か変わりました。

そんな事があり18歳の時に浪花千栄子さんは、自分の意志で憧れの京都へ逃げます。

 

頼れる人もいない中、やっと見つけた仕事先は「カフェーオリエンタル」でした。

今で例ればキャバクラのような店になります。

ここで働いてた「ユリちゃん」と仲良くなり、女優を目指すユリちゃんと一緒に無名の芸能事務所に入ることを決意し退職。

この出会いをきっかけに、浪花千栄子さんの女優人生がついに始まったんです!!

 

浪花千栄子の女優人生

いざ芸能事務所へ入ったのですが、映画を一本も撮ることなく事務所は倒産。

面倒見が良かった社長は「村田栄子一座」を浪花千栄子さんに紹介してくれました。

女優より女中として働きたかった浪花千栄子さんですが、仕事の手際よさを見込まれ村田栄子さんの弟子に抜擢!

師匠の村田栄子さんがセリフ忘れをした時に、舞台裏から教える仕事でした。

 

しかし、村田栄子さんが急病になった際、セリフを覚えている浪花千栄子さんに代役が回ってきたんです。

ところが全て覚えてるはずのセリフが、舞台では真っ白になり飛んでしまいました。

 

そこで浪花千栄子さんはアドリブで、走り回ったりよじ登ったりアクションで誤魔化したのですが、これが客には大ウケ!

たちまち人気女優になったのですが、それを良く思わないのが村田栄子さんでした。

 

生傷が絶えない浪花千栄子さんを、見かねた劇場主人が「東亜キネマ」を紹介してくれ、舞台から映画女優へとなりました。

しかし紆余曲折あり映画界からは身をひき、舞台女優をしながら芝居茶屋で女中をすることに。

ここでまた、浪花千栄子さんは運命的な出会いをされました。

 

浪花千栄子の結婚・離婚理由は?

浪花千栄子さんが働いていた芝居茶屋には、後に夫となる「2代目・渋谷天外」さんが居候してました。

この頃2代目渋谷天外さんは「松竹家庭劇」を立ち上げ、浪花千栄子さんは助っ人劇団員として参加。

 

そして、朝鮮戦争が勃発したのを機会に、浪花千栄子さんが23歳の時に結婚をされました。

しかし、2代目渋谷天外さんの女癖の悪さは有名だったそうで、浪花千栄子さんも泣かされることに…。

「松竹新喜劇」の旗揚げに夫婦で参加し、看板女優として人気が出始めた時、浪花千栄子さんの弟子だった「九重京子」さんとの不倫が発覚します!

しかも妊娠までしていたんだそう。

 

浪花千栄子さんはこれをきっかけに離婚し、松竹新喜劇も退団されたんです。

ちなみに2代目渋谷天外さんは、再婚から4ヶ月で九重京子さんのためにマイホームを購入。

自分は尽くしてきたのに家も買って貰えなかったことで、より一層怒り恨んだそうです。

どこまでも辛い人生で、苦労が絶えなかった浪花千栄子さんですが、離婚後はどう過ごしたのでしょう?

 

浪花千栄子の晩年は?

離婚後に芸能界から姿を消していた浪花千栄子さんを、NHK大阪放送局のプロデューサーだった「富久進次郎」さんが捜索。

花菱アチャコさんの相手役に浪花千栄子さんが適任と思い、必死で探し見つけたそうです。

 

見つかった時の浪花千栄子さんは、長屋に住み大阪へ行く電車賃も持っていませんでした。

そんな落ちぶれた暮らしから、再び仕事の依頼が舞い込む女優となり大阪を代表する女優に。

本名の南口キクノ(なんこうきくの)から、”軟膏効くの”という意味で「オロナイン軟膏」の看板にもなりました。

 

プライベートでは弟の娘「南口輝美」を養女として迎え、旅館や茶屋を経営する実業家の一面の姿も。

この時に建てた旅館の庭石に、2代目渋谷天外さんの名前を彫り毎日踏みつけていたそうです。(笑)

不倫された妻の怒りは消えることがなかったんですね!

 

最晩年には「ブルーリボン助演女優賞」を受賞し、浪花千栄子さんは1973年12月22日に、消化管出血のため66歳で亡くなりました。

生前の言付けから、養女の輝美さんは亡くなった浪花千栄子さんの顔を思いっきり叩いたそうです。

実は「死んだ後にお別れに来た方に、役者として無様な姿を見せたくない。死んでも綺麗でいたい。」という役者としての浪花千栄子さんの遺言でした。

 

死んでも役者という浪花千栄子さんは凄いですね。

亡くなった後には「勲四等瑞宝章」を受章されています。

そして泣きながら顔を輝美さんが叩いたおかげか、浪花千栄子さんの死顔は「まるで生きてるようだった」と、弔問に訪れた方は語ってました。

 

まとめ

 

浪花千栄子さんのな生い立ちから晩年まで「浪花千栄子に弟いた?生い立ちの実話エピソードどこまで本当か調査」をご紹介しました。

幼かった弟とも早くに離れ、働きに出た浪花千栄子さんは心細かったと思います。

浪花千栄子さんは今では考えられない過酷な暮らしや、どこまでも辛い状況に追い込まれながらも、最後まで役者として生き抜いた女優でした。

一体ドラマの世界では、どこまで浪花千栄子さんの実話を盛り込んで描かれるのか、期待されますね。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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